ありがとうの言葉で お千代さん
2020年12月31日職場の先輩でもある西村メンバーと「お千代さん」に向かっている。
「前にいた部署のときに職場の上司と一緒によくきたなぁ」と西村メンバーは、鼻をフンフンとならして意気込んでいる。鬼滅の刃・伊之助(いのしし)に扮する機会が多くなってきたからだろうかと思っていると、お千代さんの前に到着した。
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扉を開けると、新聞を読んでいる人が。
店主の佐藤弘子さんである。
「いらっしゃい」
ここには初めてきた。
ただ、店に入った瞬間、とても懐かしい気持ちになってくる。
好き嫌いを聞かれ、弘子さんが自慢の料理を出してくれた。
「これを食べさせたかった」餅料理や豚カツなど次々と。
まさにお母さんの味・・、ほわほわ・・
母が始めた「焼き鳥 お千代さん」
弘子さんが昭和40年から引き継ぎ55年以上、たくさんのお客さんがここを訪れている。
酒屋で飲むのが当たり前だった当時。
居酒屋で飲むのは新鮮で、しだいにそれが流行ってきた頃だった。
日詰の街もそうである。
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弘子さんは紫波第一中学校の第3回生。
中学3年生の時に、円盤投げの中学生日本記録を出すほどのアスリートだった。
日本記録を出した選手ということで高校の全国大会ではカメラマンが殺到した。
「田舎からでてきた選手、とても恥ずかしかった」と当時を振り返る。
高校卒業後、盛岡市で働きながら競技を続けるが、母から「お千代さん」のバトンを受け継ぎ店に入ることになる。
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「50年以上もやってるといろいろなことがあるよ」
店にはたくさんの写真が飾られている。お客さんとの写真だ。
その中には日詰サッカー少年団を全国2位に導いた伝説の監督でもある職場の元上司の姿もあった。
16年間続いた「お千代の会」の北海道旅行はお客さん主体で行われた。
「お客さんのおかげ、お客さんだけは保証します。」と話す弘子さん。
お客さんがお千代さんについて書いている雑誌も店には置いている。
ここは弘子さんと、お客さんが一緒につくっているのだなと感じる。
お腹いっぱい食べたあと、店をでる。
「ありがとう、また来てください」
ほわほわした気持ちで笑顔になった西村メンバーと自分。
「はい、また来ます。」
Text:しわりり かわむら
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<西村メンバーより>
今回の取材では私も初めて知ることが多く大変勉強になりました。
弘子さんが、「足が速いから」という理由で中1で陸上部に入り、円盤投てきを始め、中3で中学日本新記録を樹立した偉大な人だということは想像していませんでした。同町出身のスプリンターだった佐藤いしお先生の指導もあってのことと弘子さんは淡々と言っていましたが、並大抵の努力では成し遂げられなかったと思います。負けず嫌いではあったということですが、レベルが違い過ぎです…。
高校の全国大会では、周りの選手に比べ自身の足の白さが気になってしまったというエピソードも、記録の豪快さと反対に繊細な一面も分かって楽しく聞かせていただきました。当時の日本陸上界を牽引した同世代のスター選手のことを語る弘子さんはとても輝いて見えました。
店内に多く飾られた歴史ある品物の説明も受けましたが、大半がアスリートのもので、聞いていて体が熱くなっていくのを感じました。
常連の皆様の長年通われる理由がまた一つ分かった気がしました。